モノを持たない自由

これまで散々述べてきたように、本来、最低限の生活のハードルは高くない。しかし、「物欲が抑えられない。出費がかかるから、その分働かなければならない」という人は多い。

以前にも書いたが私は、東日本大震災の折、大阪へ飛んで逃げた。原発が爆発していたからだ。

何のツテもコネもない庶民の私が瞬時にそうした判断をしたのは、偶然にも震災直前にチェルノブイリ原発事故による被害状況や被ばく者の画像等の情報にアクセスしていたからだ。

ちなみに、不幸にも震災は家を買った半年後だったのだが、避難する際には「自分が生きているうちにこの地を踏むことはもう二度とないかもしれない」と本気で考えていた。

そのときの私の荷物は、航空機持ち込み用キャリーと中型のバック1つ。これは、パートナーも同じ。「もう二度と帰れないかもしれない」と考えて荷造りした荷物が、カバン2つ分にしか過ぎなかった。つまり、ほとんどのものは極限の選択を迫られれば「必要のないものだった」ということだ。

そして、私が震災のときに選択したのは、モノだけではない。人もだ。一応「逃げたほうがいい、私は逃げる」と連絡できる人には連絡したが、結局はパートナーだけを連れて逃げた。「最悪の場合、高線量被ばくで死ぬだろう」と思っている場所に、親族や友人を見捨てて逃げたのだ。

本当に必要な人も、モノも、実はごくわずか。それなのに、多くの人がそれ以外のものを集めるため、必要以上の苦労をしている。物欲は、麻薬と同じようなものなのかもしれない。


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posted by nonnco at 16:38 | モノを持たない自由 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする